一緒に創ろうこれからの学校
四番丁小学校の可能性 Vol.1
平成16年6月
一緒に創ろうこれからの学校
四番丁小学校の可能性 Vol.1
目 次
発行によせて
はじめに
Ⅰ 提言 四番丁小学校の可能性
1.保育施設との複合化を行う
2.学校選択制(通学区域の弾力化)を導入する
3.補助制度の有効活用を図る
4.学校を核にした地域コミュニティを再生する
5.図面
Ⅱ 学校をめぐる現在の状況
1.学校選択制(通学区域の弾力化)について
2.学校施設の複合化について
3.補助金について
①学校の適正規模と国庫補助金
②他の補助制度
4.まちづくりと学校・中心部の地域性
Ⅲ 四番丁小学校の歴史と伝統、その活動と取り組みの現状
1.歴史と伝統
2.その活動と取り組みの現状
Ⅳ メッセージ
おわりに
四番丁小学校同窓会長 鹿庭 幸男
四番丁校区連合自治会長
谷 正弘
四番丁小学校育友会長
萩本 豊
平成16年2月28日に開催された四番丁小学校「菊池寛まつり」は、今年で27回目を数えます。毎年一年間の総合学習の成果がここで発表されますが、今年も子どもたちの演技は、すばらしいものでした。菊池寛をはじめ、三木武吉、成田知巳、十返肇、向田邦子等、郷土の誇りとする方々を輩出した伝統ある四番丁小学校の教育は、今も脈々と受け継がれています。
しかし今その教育の灯が消えようとしています。平成15年8月20日、高松市中心部小中学校適正配置等審議会は、高松市中心部小中学校の統合についての中間報告を提示しました。それによると四番丁小学校は、日新、二番丁の各小学校と統合するとされています。四番丁小学校の教育を知る卒業生、地域住民、在校生父兄の間では、当事者不在で提示されたこの計画についてとうてい納得できないとの意見が大勢を占めています。在校生父兄からなるPTA組織である育友会は、昨年9月に総会で決議された意見書を提出、同時に同窓会、自治会、育友会は存続を求める署名運動を展開し、昨年12月に9,113名の署名を提出しました。
私たち当事者が意見を言えば、多くの場合「地域エゴ」というレッテルを張られてしまいます。しかし、最も利害をこうむるのは私たちです。その当事者抜きで進められている計画を、ただ傍観していることはできません。今回統合対象となった他の学校においても同様の主張がなされています。
次代を担う子供達に対して私たちは何をなすべきなのでしょうか。これを機会に、今一度学校について考え直し、将来にわたって悔いを残さないよう、諸方の意見を出し尽くし、議論を重ねなければいけないでしょう。その第一歩として、私たちはこれからの学校について、ここに提言をさせていただきます。
はじめに
平成15年8月、高松市中心部小中学校適正配置等審議会より高松市中心部小中学校の統廃合についての中間報告が提出された。この中間報告は私たち地域住民、PTA、同窓生にとって学校の在り方を深く考えさせられる契機となった。私たちは議論を重ねるにつれて統廃合は最後の手段であって、そこに至る前にもっとなすべきことがあるのではないだろうかという疑問を抱くに至った。そこで私たちは限られた情報の中ではあるが、四番丁小学校をモデルとして高松市中心部の小学校の在り方を考えてみた。私たちはここで述べている考え方が決してベストであるとは思っていない。これはあくまでも議論の叩き台であり、行政と地域住民、PTA、同窓生などの関係者が一体となって一からこの問題を考える場を設置していただき、全国に誇れるような高松の教育を作り上げていくことが私たちの目標であり、次代を担う子供達に対する私たちの責務でもあると考える。しかし現実にはそのような場は設置されておらず、私たちは議論に参画させていただいていない。そこでこのような提言を行った次第である。
Ⅰ 提 言 四番丁小学校の可能性
私たち地域住民、PTA、同窓生は以上のような学校をめぐる現在の状況を踏まえた上で、学校施設の複合化、学校選択制(通学区域の弾力化)の導入を前提にした四番丁小学校の可能性を提言する。
1.保育施設との複合化を行う
四番丁校区の特色は、校区内にオフィス街・商業地・官公庁を抱えることである。その特徴を踏まえたとき、働く女性を支援する施設として保育施設の必要性が考えられる。現在、高松市内において四番丁校区のみ公立の保育所が設置されていない。学童保育まで守備範囲にした保育施設を校舎敷地内に整備することは、後に述べる学校選択制(通学区域の弾力化)の導入とセットで考えることにより大きな効果が得られる。近隣の会社や官公庁に勤務する子育て途上の女性が学校選択制(通学区域の弾力化)を利用して子どもを四番丁小学校に就学させる。子どもは、放課後も校舎敷地内に整備された学童保育施設にて活動することができる。就学前児童がいる場合は、学童保育施設に併設された保育所を利用することもできる。女性が子育て中も安心して社会進出でき、少子化の傾向にもブレーキをかけることができるという社会的に極めて大きな意義を有するものである。中心市街地の空洞化、ドーナツ化現象など地域経済社会の変化に伴い発生した児童生徒数の地域的な不均衡の問題と少子化の進展にもかかわらず働く女性の増加に伴い年々保育所の入所希望者が増加し待機児童が発生しているという2つの問題は、四番丁小学校の保育施設との複合化により同時に解決することができる。なお運営については近隣の企業内託児施設を複数の企業共同で四番丁小学校に設置するという方法も考えられる。
2.学校選択制(通学区域の弾力化)を導入する
学校選択制度のパターンとしては、域内全校の中から選択する(完全自由型)、域内を複数のブロックに分けそれぞれから選択する(ブロック型)、従来の学校とそれに隣接する学校の中から選択する(隣接校型)が考えられるが、当地区の場合は学校施設の複合化を踏まえ、完全自由型の導入が望ましいと思われる。ただし適用対象学級は1学年1学級とし、希望者多数の場合は抽選とする。新入生には学校選択制度、在校生は転入学申立制度により対応するが、施設その他の事情との兼ね合いの中で、新入生から徐々に適用していくこともある。なおこの施策を展開するに際しては、保護者、児童生徒が充分な情報をもって学校を比較・検討できるように、その運営方針や教育内容などについての情報開示が必要である。
学校は公民館活動、地区体協など地域コミュニティの拠点でもある。学校選択制(通学区域の弾力化)は学校と地域の結びつきを弱めるという懸念もあるが、一方で居住地域にかかわらず開かれた地域活動に参加することができるというメリットもある。また本来義務教育は機会均等であるべきものであり、学校選択制はその観点からも推奨されるべきものである。義務教育といえども一定の条件の下で競争原理を導入することは、各学校の努力をうながし、ひいては高松市全体の公的教育のレベルアップにもつながるものと期待することができる。
3.補助制度の有効活用を図る
今回の統廃合問題の発端は、耐震化に伴う校舎改築問題であるが、その背景に財政問題があることは明白である。後述の通り現状地での改築の場合は統合した上での新築よりも国の基本補助率は低い。しかしながら、特色ある学校施設作り、子ども達の未来を拓く学校施設整備、地域・学校連携施設整備などを組み合わせることにより補助金は加算される。また複合施設化とする場合、併設される施設に対しても助成が考えられ、それらをすべて加算したものが改築のための補助金総額となるものと思われる。このように知恵を絞ることにより少しでも市の財政負担を軽減させることができる。
4.学校を核にした地域コミュニティを再生する
学校、地域、保護者などが一緒になって新しい学校づくりを考えることによって安心して住み続けられる地域を作ることができる。学校と地域住民は世代を超えた交流やふれあいを持ち、子どもたちを温かく見守る目と学校を支援しサポートしていこうとする気持ちが生まれることにより、学校を核として地域のコミュニティを再生することができる。この地域での多世代居住空間の創設は職住近接を可能とし、若い世代が商店街などに居住することにより、まちに愛着を持ち次代を担っていこうとする子どもたちが育ってくる。
5.図面
平成12年度には香川県建築士会において「多世代交流の場としての小学校の再構築」というテーマで四番丁小学校校舎敷地をモデルにした設計コンペが行われ、保育施設との複合化を提案した作品が賞を得ている。ここでは現行の校舎敷地を利用して上記施設を併設した場合の図面を作成した。なお本計画案の著作権は提言作成者に帰属する。
周辺状況
本校区は、四国の玄関であり観光都市として知られた高松市の中核に位置する。北部は高松港と高松駅を中心とした海岸沿い一帯で、各種交通機関の発着地で、此れに連なる商業施設・事務所ビル・が林立する。また、此処に続く一角は、官公庁・司法関係の諸施設・更には百貨店も有り、その南には商店街が形成され、市中第一の繁華街となっている。また、中央通沿いには四国の管理中枢の機能としての上場企業の支店が多く有り、市役所、県庁など行政の施設も多く存在する。西側は城下町の面影を僅かに残した番町筋の住宅街が広がり東側の商店街とのコントラストを現出している。
近隣地図


計画案 概要
本計画は、これまで述べてきた記述に則り現在の四番町小の敷地に計画をしたものである。
敷地面積 13.190m2
用途地域 商業地域 建蔽率 80% 容積率 800%(許容)
用途 小学校+保育所 各学年 2クラス(30名)×6 保育所 4クラス+一時保育室
構造 鉄筋コンクリート造一部重量鉄骨造 3階建て
建築面積 2746.8m2 (建蔽率 20.92%)
延床面積 4075.3m2 (容積率 30.90%)
敷地は、四方を市道に囲まれており、北側道路を児童、乳幼児のアプローチ導線とする。
建物配置は、北側に体育館と屋内プールを配置し、その南側に各教室、諸室を配置する。
高学年と低学年を別の導線とし、また、保育所は、東側1階に配置する。
また、一時保育室も設け、学童保育にも対応する。1、2階は、小学校部分とし、3階は
学校開放対応を考慮し、公民館としての機能も対応できるものとする。
美術室、会議室、調理実習室、音楽室、理科室、図書室、集会室等の特別教室は、
住民の使用も考慮するものとする。また、屋内プール、体育館も一般開放を考慮し、
地域住民の健康増進に活用する。
構造は、新耐震基準に則り計画をし、避難場所としての対応も考慮する。


外観イメージ写真
敷地北側に体育館、屋内プール、保育所を配置し、南側は運動場とし学校開放にも対応する

保育所部分の各室は天井の高いプレイルームに面し、乳幼児の豊かで楽しい遊びに対応する事を考慮する。

オープンスペース透視図
各教室に隣接してオープンスペースを設け、多様な授業に対応できるようにすると共に上下の学年の交流を図れるように考慮する。
一部吹抜を設け豊かな空間とする。




Ⅱ 学校をめぐる現在の状況
前章の提言は、学校をめぐる現在の状況をふまえた上でなされたものである。以下にその概略を示す。
1.学校選択制(通学区域の弾力化)について
平成13年12月総合規制改革会議は、その第1次答申において重点6分野の一つである教育における規制改革推進の一環として以下のような内容を答申した。
(1) 高等教育における自由な競争環境の整備
(2) 高等教育機関によるキャリアアップの充実
(3) 高等教育に対する公的支援の在り方の見直し
(4) コミュニティスクール導入のための法制度整備に向けた実践研究の推進
(5) 小中学校設置基準の明確化と私立学校参入促進要件の緩和
(6) 初等中等教育における評価と選択の促進
このうち初等中等教育関連の内容として、「社会・経済・文化におけるグローバル化や国際的競争の進展の中で質の高い教育を提供し社会のニーズに応える優れた人材を提供することが不可欠であり、初等中等教育においては多様化を進め、需用者による選択と参画を確保することが我が国の教育全体の質的向上に結びつく」として学校選択制(通学区域の弾力化)に関わる答申を行っている。
現行の通学区域は「学校教育法施行令」第5条第2項において、「市町村の教育委員会は当該市町村の設置する小学校または中学校(略)が2校以上ある場合においては、前項の通知(入学期日の通知)において、当該就学予定者の小学校または中学校を指定しなければならない。」との規定に準拠して市教育委員会が指定しているものである。
しかしながらこのことは初等中等教育における画一化を推し進め、また一方では少子化に伴う児童生徒数の減少、中心市街地の空洞化、ドーナツ化現象など地域経済社会の変化に伴い児童生徒数の地域的な不均衡をもたらしている。そしてこれこそがまさに今回、適正配置問題が俎上にあがった発端でもある。
2.学校施設の複合化について
高松市小中学校適正配置等審議会の前身ともなった高松市校舎等改築検討懇談会ならびに高松市校舎等改築基本構想の報告書は、以下のような理由から学校施設の複合化の必要性について論じている。
(1) 学校・家庭・地域社会の連携
これからの学校は家庭、地域社会と一体になって児童生徒を育てる学校として、家庭、地域社会とともに学校教育を展開していくという視点を持つことが大切である。このため学校施設は学校教育施設としての機能を確保するだけでなく家庭や地域社会とともに児童生徒を育てる場、交流の場として機能していくことが求められており、学校の中で児童生徒と地域住民とがふれあい、心を通わせる場や様々な活動をする場が望まれる。
(2) 生涯学習社会への対応
学校は地域住民にとって身近な学習施設であり、ITなどその教育機能や施設・設備を提供することにより、地域の人々の学習需要に応え、積極的に開かれていくことが望まれる。
(3) 地域のコミュニティ活動等の支援
地域の人々の様々な活動や交流の場として学校開放を推進するとともに、他の公共施設との緊密な連携を図りながら地域のコミュニティ活動を支援していくことが大切である。
また同報告書は考えられる具体的施設として以下のような施設を挙げ、各学校の地域性等を考慮しつつ整備計画の策定段階から、学校関係者のみならず複合施設の種類に応じ地域の関係者との意見交換を十分に行い、共通理解を得つつ進めることが大切であると述べている。
(1) 学校が児童生徒の学習・生活の場であることを考慮した場合
学校教育施設同士、児童館・学童保育施設等の児童生徒と関わりのある施設、
学習・スポーツ・文化活動施設等の学校施設と機能を共有する施設
(2) 学校が地域の身近な公共施設であることを考慮した場合
地域のコミュニティ活動等を支援する施設
さらに同報告書は学校施設の複合化について先進地の事例を分析する中で他都市では生涯学習センターやコミュニティセンター等との複合化事例が多いが、その機能は公民館の機能と類似している。高松市においては既に校区毎に公民館が設置されているため、当地区における状況は異なっている。学校が児童生徒の学習・生活の場であることを重視し、児童生徒と関わりの深い施設、学習環境の向上や健全育成につながる施設との複合化が優先されると結論づけている。
3.補助金について
①学校の適正規模と国庫補助金
学校施設は、児童生徒の学習・生活の場であると同時に、災害時の地域の人々の緊急避難の場としての役割を持つ。しかし現状は、耐震性の問題や、老朽化によって改築が必要な校舎が占める割合は大きく、これらの校舎の耐震補強や改築・改修等を順次進めていく必要に迫られている。特に、耐震化は最優先課題であり、これを促進するために、校舎の新築または増築に要する経費の一部が各地方自治体に対して国から補助される。
高松市も多くの小中学校校舎等が改築時期を迎え、平成10年12月25日に高松市校舎等改築検討委員会が、平成12年8月14日には校舎等改築検討懇談会が設置され、校舎改築に対して議論を重ねて、平成13年11月30日には検討懇談会が最終報告書を提出し、平成14年4月26日には、検討委員会によって高松市校舎等改築計画基本構想が策定された。この基本構想では、学校の適正規模について論じられており、高松市立小中学校の適正規模は、小学校、中学校とも12~24学級と規定されている。校舎等改築の議論の俎上に学校適正規模の問題があがるのは、教育的見地からだけではない。基本構想では触れられていないが、改築にかかる費用と国からの補助金制度の関係も大きな理由であると考えられる。以下、国からの補助金という観点から学校の適正規模をみてみよう。
義務教育諸学校施設費国庫負担法、同施行令、同施行規則、公立学校施設整備費国庫補助要項等で、公立の義務教育諸学校の建物の建築整備に要する費用の一部を国が負担することについて規定されているが、煩雑になるので文部科学省ホームページに整理されており、これより抜粋して資料として提示する。
現在の小中学校が現状のままで校舎を改築する場合には、前掲ホームページに危険改築または不適格改築として挙げられている補助制度が適用されると考えられる。構造上危険な状態にある義務教育諸学校の建物について、その改築に要する経費の一部を国が負担(補助)するもので、費用の1/3が助成される。助成金は、学級数に応じる必要面積を基準として計算される。従って、改築に当たって国庫の補助を受ける場合、学級数は重要な要素となる。
これに対して、新築・増築の場合は、補助率が1/2になる。公立の小学校及び中学校を適正な規模にするために統合しようとする場合も、この助成が適用される。義務教育諸学校施設費国庫負担法施行令第3条には、適正規模は、学級数がおおむね十二学級から十八学級、統合する場合は十二学級から二十四学級であると規定されており、奇しくも基本構想で打ち出された高松市立小中学校の適正規模に一致する。現状のままで改築するより、統合して施行令に規定されている適正規模にして新築する方が、補助金の面からは明らかに有利になるのである。
②他の補助制度
統合を行わずに現状のままで改築する場合に適用される補助率は1/3であるが、改築後の学校のあり方によって、別の補助が適用される場合がある。これらを利用すれば、より多くの補助が得られる可能性があるので紹介する。
(1) 特色ある学校施設作り
創意と工夫をこらし、地域の実情に沿った特色ある学校施設づくりを推進するために、学校施設の全体を整備する事業について、基本設計費に対して補助が受けられる。さらに、多様な学習形態に対応する学習スペースとして多目的スペースを設ける場合、学級数に応ずる校舎必要面積に対し、小学校においては18.0%、中学校においては10.5%を上限として補助対象の資格面積が加算される。
(2) 子ども達の未来を拓く学校施設整備事業
新たな教育課程に対応できる創意工夫をこらした学校づくりやコミュニティの拠点として地域に開かれた学校づくりなど、多様な学習需要等に対応できる学校施設の整備に対して、必要面積の20%の範囲内において、必要と認められる面積が加算され、また予算の範囲内において、本事業の趣旨に基づいた整備を行うために必要と認められる経費が加算される。対象事業には、
・新たな教育課程に対応した学校施設
・地域に開かれた学校施設
・複合化に対応した学校施設
・環境を考慮した学校施設(エコスクール)
・地域の特色を生かした学校施設が挙げられ、加算対象施設は、
・児童生徒の多様な学習方法とに対応するために必要となる面積及び経費
・地域の持つ教育力を生かした学習活動を実施するために必要となる面積及び経費
・地域の人々が生涯学習活動等に利用するために必要となる面積及び経費
・複合化施設との連携をはかるために必要となる面積及び経費
・環境負荷の低減を図るために必要となる面積及び経費
・地場産業等を活用するために必要となる面積及び経費
・その他、本事業の趣旨に基づいた整備を行うために必要と認められる面積及び経費となっている。
(3) 地域・学校連携施設整備事業
学校・家庭・地域社会が連携協力することの重要性に鑑み、地域の持つ教育力を生かした学習活動や地域の生涯学習活動等を実施するための場、また、高齢者をはじめとする地域の人々の交流の場などを備えた、地域コミュニティの拠点としての学校施設の整備に対して、費用の1/3が補助される。補助の対象となる施設は以下の通りである。
複合化の対象施設は、
○文教施設
・社会教育施設(公民館、図書館等)
・社会体育施設(体育館、水泳プール等)
・文化施設・文化財保護施設(美術館、歴史資料館等)
○福祉施設
・高齢者福祉施設(老人デイサービスセンター、養護老人ホーム等)
・児童福祉施設等(保育所、児童館、放課後児童クラブ施設等)
・身体障害者厚生援護施設等(身体障害者福祉センター、・身体障害者通所授産施設、在宅知的障害者デイサービス・センター、知的障害者授産施設等)
○その他
・学校施設と複合化することが適当と認められる施設
である。
以上は、学校としての補助金であるが、複合施設化とする場合、併設される施設に対しても助成が考えられ、それらをすべて加算したものが改築のための補助金総額となる。
4.まちづくりと学校・中心部の地域性
①高松市における小学校区
高松市の市民組織の多くは小学校区単位に組織されている。自治会、婦人会、子ども会育成会、保健委員会、等など。小学校区が一つのまちづくりの単位として何年も続いて来ている。
そして今また、これを単位に地域コミュニティの再生の必要性が言われ、「共に支えあう地域社会づくり」を目指す地域福祉計画が始まろうとしている。同じ小学校に自分も通い子どもたちも通った、顔も見知った人々が徒歩圏の地域の中で互いに支えあって暮らしていく、安心に住み続けられる地域をつくろうとしている。
小学校区に一つずつつくられている地区公民館は全国的にもその充実が言われ、生涯学習の場として、多くの地域の人たちの生きがいや健康づくり、交流の場としての役割を担っている。このようにして小学校区からまちづくりの芽が拡がっていくわけである。
②中心市街地における小学校
○校区の居住人口の減少
昭和50年頃より自動車社会の到来によって、町の郊外化が進み、車で移動できる郊外を生活の場とする人々が拡がってきたが、中心部商店街の人たちも例外ではなく、生活の場を郊外に持ち、商店と別に居住するようになってきた。そのことが中心部の人口の減少のきっかけともなったと、商店街の方は自戒を込めて語っている。四番丁小学校も全校生徒3000人を超えたマンモス校から徐々に生徒数は減少し、何度かの廃校のうわさはそれに拍車をかけたとも考えられる。
○高松市中心市街地の活性化計画
平成10年、国において「中心市街地における市街地の整備改善及び商業等の活性化の一体的推進に関する法律」が成立し、高松市においてもこれを契機にこの法律に基づいて「高松市中心市街地活性化基本計画」策定された。そこでは、中心市街地における市街地の整備改善及び商業等の活性化の一体的推進が図れるよう、行政・市民・民間事業者が一体となり、高松市の顔でもある中心市街地において、各種の事業・施策を連携させながら、街なかの総合的な再生・再構築を推進し、活力と魅力ある中心市街地の形成を目指すと明記されている。「高松市中心市街地活性化基本計画」は前述の考え方から、機能集積が高く、その再整備により高松市全域、さらには広域的な波及効果・相乗効果をもたらすことが想定される中心市街地の区域を設定し、都市基盤整備、商業振興、居住環境さらには公共公益施設の総合的かつ体系的な整備を推進していくための計画であると位置づけられている。現在(平成7年)高松市の人口が横ばいに対し、中心市街地の人口は減少を続けており、0~14歳までの人口割合は10.2%(市全体は16.3%)また65歳以上は22.6%(市全体は15.6%)と少子高齢化が進行している様子がうかがえる。
まちづくりを担うのはそこに住む人たちである。そこに生まれ育った子どもたちは地域の文化や事業・活動の中で自分たちの町を愛する心を育てていく。中心市街地の活性化を担う人材は、地域に生まれる子どもたちである。高松市中心市街地の設定区域の中には、四番丁小学校、新塩屋町小学校の二つの小学校があるが、どちらも長い歴史をもった、地域に密着した小学校である。
前述の「高松市中心市街地活性化基本計画」によれば、『住みやすい居住の再整備や促進』のため、多様な層を対象とした、都市型住宅の供給の促進、都市型サービス機能の立地促進や生活支援公共施設の整備が検討されている。子どもを持つ若い年齢層では、安心して子どもが近くの小学校に通える環境が求められるが、また職場の近くでの幼稚園や保育所などの整備も、男女が同じように働く機会の増えた現在での必要な支援でもある。中心市街地こそ、若い年齢層の居住需要が見込まれる場所ではないだろうか。
他都市でも、かつて中心部が空洞化したために小学校の統廃合を行ったものの、中心部への人々の回帰が始まり、教室が足らなくなる現象があちこちで現れている。中心部での居住のためには、小学校や保育施設は必要不可欠な施設と考えられる。
③学校は地域の宝もの・小学校の役割
○四番丁小学校区の歴史
四番丁小学校は明治25年に開校以来、百余年の歴史を刻んでいる。校区は瀬戸内海を背景に水城「玉藻城」を中心として発展し、現在も商店街、オフィス、官庁を中心とする経済、文化、政治の拠点である。1588年高松城の築城とともに商人町や職人町が形成され、諸国に先駆けて、上水道も整備された城下町としての発展の中心となる地域であった。明治の初めには兵庫町に『博文社』が設けられ、全国の新聞の閲覧所となり、高松の新しい文化の発展のさきがけとなる、人々や施設が多くあった地域でもあった。
四番丁小学校設立のためには、多くの人々の尽力があった。創設期、戦後の復興期、土地を提供したり、奉仕活動、給食づくりなど、地域の人達やお父さんやお母さんたちは、子どもたちの教育の場作りに力を尽くしてきた。学校と地域はまさしく一つになり、地域の宝として学校は大切に守られてきた。昭和34年全国健康優良学校日本一に選ばれ、校区をあげてお祝いをしたのもそれまでの地域の人々の熱い思いがあってのことである。
○地域の文化を担う子どもたち
小学校は地域に住む全ての人たちが通学し、学び、母校に対して愛情と誇りを持つ、心のよりどころである。地域にあって子どもたちは周りの大人たちの様子から学び、地域に伝わる文化をおじいさんお父さんから継承していく。四番丁小学校区は高松の歴史そのものであり、400年前高松のまちが形成されて以来の人々の営みや息遣いがこの校区につながり、子どもたちに引き継がれている。H10年にまとめられた『地域文化をつくる教育』[平成11年2月発行 四番丁小学校・松林社]という四番丁小学校の実践記録中にはこのような地域に生きる子どもたちに、伝統文化の継承者として、新しい文化を創造する担い手として地域の文化を再認識ししながら、育ってほしいという先生方の思いが表れている。自分の生まれた町を大切に思う気持ち、自分の学んだ学校を大切に思う気持ちはそんな学びの中から生まれ、「こんなまちになったらいい」「ぼくはそのためにこんなことをします」という次代のまちづくりを担う子ども達が確実に育っているのを見る事が出来る。
○地域の中の小学校
小学校は地域の公共的な場所としても活用される。子どもたちにとってだけでなく、地域に住む住民、特に高齢者や体の不自由な人にとっても歩いて楽に通える身近な小学校は大切な場所である。特に災害時の避難場所としての役割は大変大きく、誰もが歩いて学校に集まって来られなければならない。多様な年齢層、さまざまな立場の人たち、多くの職場に通う人たちにとっても安心して生活し続けていける地域をめざす人々の、まちづくりの拠り所として小学校の役割には大きいものがある。
Ⅲ 四番丁小学校の歴史と伝統、その活動と取り組みの現状
第Ⅰ章で述べた私たちの提言の内容をより理解いただくために、またこれからのあり方を考えるに際しても四番丁小学校が過去および現在において果たしてきた役割をもう一度見直すことが必要であると思われる。
1.四番丁小学校の歴史と伝統
ドイツの鉄血宰相ビスマルクは、「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という名句を残している。先哲に学んで、四番丁小学校の歴史と伝統の概略を振り返る。
① 最初に開校された高松市立小学校
(1) 四番丁尋常小学校の開校
本校は、明治 9年 (1876) に開校された玉藻小学校を前身とし、その後の変遷を経て同25年 (1992) 4月1 日に高松市立四番丁尋常小学校として慈恩寺境内に設立された。本校のほかに五番丁 (浄願寺跡)、西通町 (二番丁小学校北側)、 西浜 (西浜金比羅堂) の 3分教場をもっていた。この年高松市に開校された小学校は本校と鶴屋町尋常小学校 (跡地は琴電片原町駅東側) であった。
本校の就学区域 (以下校区)
は、内町、西内町、西の丸町、寿町、玉藻町、丸亀町、古新町、外磨屋町、南紺屋町、南鍛冶屋町、北亀井町、南亀井町、田町、南新町、一番丁~九番町、天神前、中新町、旅籠町、古馬場町、兵庫町、新湊町、浜の丁、西新通町の31町となっており、大変広い範囲から通学していた。本校の就業年限は
4年、 各学年とも 2学級で計
8学級。分教場は 1、2 年のみで
3学級。合計11学級。開校時の在籍数は
838人であった。高松市全体の就学児童数
2,960人の約3割を占めていた。4月
4日の入学式には、来賓として赤松市長・北村市会議長・吉本学務委員等臨席、児童
200余人父兄併せて 400余人が出席したことが「香川新報」に報じられた。以来、本校は高松市の代表的な小学校として、教育の様子や学校行事などの諸活動が日常的に同紙に掲載され、市民に広報されて来た。
(2) 時鐘楼の建設
明治33年 (1900) 本校校庭に時鐘楼が建設された。藩主松平頼重が鋳させた鐘を高松市民の時鐘として利用したのだ。昭和
3年(1928)市庁舎のサイレン設置まで、「四番丁のゴン」と市民に親しまれた。今は海浜公園に移され、新名所「報時鐘」となっている。
(3) 二番丁尋常小学校の分離独立
明治35年 (1902) 二番丁尋常小学校と新瓦町尋常小学校が新設され、西通町・西浜分教場は閉鎖。糸浜分教場は二番丁尋常小学校の分教場となる。それに伴い、校区は三番丁~十番丁、天神前、旅籠町、中新町、南亀井町、北亀井町、南鍛冶屋町、南新町、丸亀町、兵庫町、古新町、外磨屋町、南紺屋町、西新通町、古馬場町、北古馬場町、新湊町の24町と縮小されている。でも、高松市の市街地の大部分を占めていた。
この年、西園寺公望公が、翌36年には芳川顕世文部大臣が本校を視察されている。
② 戦災からの復興
(1) 困難な事情の中での復興
昭和20年(1945) 7月 4日、戦災のため校舎は全焼し、学校は休校状態となった。21年3月末に校長は任命されたが、授業再開の見通しはない。本校校区の大部分の児童は、二番丁国氏学校で授業を受け、校地のほとんどは、農業会や県市の事務所、製材所に貸与し、廃校のうわささえ流れた。
昭和22年(1947) 1月、地域住民や卒業生の有志による「四番丁小学校復興期成同盟会結成された。期成同盟会は、四番丁小学校の復興を強力に当局に迫るとともに、校舎新築運動を開始し、1期工事、2 期工事の落成式の総経費を負担した。この会は 1期工事終了後解散「四番丁小学校同志会」と改称する。同志会は、その後校旗を寄贈するほか、奨学基金制度を設けるなどして、学校教育に貢献している。
校地内にあった大本寺・慈恩寺・民家は、都市計画によって換地先へ移転したため、校地は拡充され
3,995坪となる。
昭和23年(1948) 4月、二番丁小学校の
7教室を借用して授業を再開し、二部授業を実施する。同年
7目末に新校舎の第一期工事が竣工し、入校式を行った。児童数
670人、学級数は16であった。二部授業の完全解消は、26年
1月の第 3期工事の竣工を待たなければならなかった。
(2) 昭和天皇の本校ご視察
昭和25年(1950)は、四番丁小学校の歴史に大きな足跡を残す年となった。天皇陛下 (昭和天皇) が四国地方ご巡幸に際し、本校を視察されたのである。陛下は、6 年生の討議学習や県下の児童・生徒の作品を御覧になり、給食功労者として母の会代表にお言葉を賜った。母の会はその記念として、行幸記念図書館を建設して学校に寄付した。
③ 大正以降の校区の変遷と児童数の推移
校区については、大正10年
(1921) ごろまでは一定せず、学校周辺の児童数に応じてその町全部若しくは一部が変更されていたという。そのため、兄弟によって就学校が異なるという不都合が生じ、保護者の要望によって校区を決められた。
しかし、校区は明示されたものの寄留して通学する者が多く、中には、府中村から汽車通学していた者もいたという。当時の決まりとして、1
学級の定員は70人で、10人までの増減は認められていた。このため、6
年生では80人にものぼり、机間巡視もできない状態になった。市当局においては、就学目当ての形式的な寄留について、ある程度黙認していたが、昭和11年
(1936) 度から就学目当ての単独寄留の整理に乗り出した。実際の居住地を調査して、それに基づいて就学指定をした。指導の効果は逐次現れ、本校の在籍児童数は、この年を境として、少しずつ減少していった。
昭和23年 (1948) の本校復興時における校区は、玉藻町、内町、西内町、西の丸町、寿町、兵庫町、丸亀町、南新町、古新町、外磨屋町、南紺屋町、新湊町、南鍛冶屋町、南亀井町、北亀井町、三番丁~七番丁の20町であったが、27年香川大学附属高松小学校の学区制廃止により八番丁と田町が加わり22町となって現在に至っている。
児童数は戦後のベビーブームの影響と、寄留入学者の増加などによって急増し、昭和33年(1958)度には 最多の 2,435 人を記録している。以後、ブームの衰えと市当局の就学指導の徹底により、児童数は漸次減少してきた。殊に高度経済社会に移行するに連れて、市街地の人口の空洞化が急速に進み、少子高齢化時代の到来と相まって、本校の児童数は激減、創立 100周年を迎えた平成 4年 (1992) 度の在籍児童数は 333人、15年度には 159人となり、増員への施策が望まれる。
④ 保護者、地域の協力と援助
本校は市内外の学校と比べて学校の施設・設備が充実していた。市当局の協力はもちろんであるが、保護者や地域の方々の物心両面にわたる協力援助の賜物とも考えられる。
(1) 同窓会と父兄会
四番丁尋常小学校同窓会は、 明治40年 (1907) に創立。父兄会は翌4I年に発足している。義務教育延長の関係で狭くなっていた校舎の拡張についての活躍が期待されたのである。このため、「父兄会細則」には、教育上必要な物品の購入や施設経営などが明記された。その実績として、明治43年 (1910) には、運動場を西へ拡張 (470 坪) し、当初1,536坪であった校地面積が 2,O06坪となった。また、当時としては珍しく、運動場の回りにブランコ・回旋・鉄はしご等の遊具を設置し、講堂・裁縫室・唱歌室も建築されている。
昭和 8年 (1933) には講堂の改築工事が竣工。緞帳・テーブル・引き幕・映写幕・ピアノなど至れり尽くせりの内部設備であった。特にシャンデリアは 3基あり、銅製のすばらしいもので市内では例をみないものであった。
昭和16年(1941)になると、運動場の東 367坪を拡張し、校地は2,373 坪となる。この際、拡張費調達のための寄付が問題となり、拡張費は父兄会が負担した。市は戦後になりこの地代を父兄に払い、これが前述の「復興期成同盟会」の資金となった。
大正 4年(1915)電話・ピアノ購入。ピアノは二千数百万円と伝えられ、当時市内には松平家が高松高等女学校に寄付した中古のピアノが
1台あるだけであった。
(2) 保護者会、母の会
昭和23年 (1948) 5月、保護者会が結成された。復興途上にある学校の後援団体として、経済的裏付けを持つP
T Aを作ったのである。同29年
5月には保護者会を解消して母の会(母と教師の会)
が発足した。学校給食奉仕を中核として多様な活動を実施して、学校教育を物心両面から支えた。
(3) 体育館建設準備委員会
昭和28年(1953)11月、全額地元負担による体育館が落成した。この体育館建設のため、四番丁小学校では26年
5月に「体育館建設準備委員会」を結成し、27年10月までに13回会議を開き、500
万円の寄付採納を条件にその建設を市議会に陳情、市財政困難の理由で保留となる。28年再度上程して可決された。この体育館は、落成式を待たず28年の四国国民体育大会においてバスケットボール会場として使用された。
(4) 復興協力会
「復興協力会」は校舎の改築、施設や備品の充実を促進するために、経済的援助をする目的を持って、昭和29年に結成された。加入は
1世帯単位とし、1口月額
100円で申し込んだ。結局延口数は
1,690口、1カ月の合計金額は
167,900円であった。総額の半額は一般会計として校舎の営繕や教育内容充実のために使い、残りの半額は建築資金として積み立てられた。
⑤ 先導的にして着実な教育実践
本校は創立当初より香川県の名門校と目されてきた。そのため、県市当局の格別な理解により、県下のリーダーと目される校長と優れた実績を積んだ教員が配置され、保護者や地域社会の人々の絶大な協力による整った教育環境の中で、着実な教育が実践されてきた。
それは、教育の基本であ